変われるってムテキインタビュー vol.29 SPINNS 雑貨バイヤー 李慈暉

変われるってムテキインタビュー vol.29 SPINNS 雑貨バイヤー 李慈暉

「変われるってムテキ」を世界中に。
それが、私たちスピンズのVISIONです。

世の中に服屋さんは星の数ほどあれど
私たちスピンズは「変われるってムテキ」を伝えたい服屋さん。
自らが変わっていくことで、自分の人生をクリエイトし
ワクワクを世界に伝えていく。

このインタビューは、そんな私たちの「変われるってムテキ」物語です。

今回のインタビューはSPINNS 雑貨バイヤー 李慈暉さんにお話をお伺いしました。

自分がやりたいことに出会えたので反抗して今までやってきた

ー 李さんが一番変われたと感じられた出来事のお話をお聞かせください。

李:私は台湾出身で、日本に来て働いています。
厳しい家庭環境で育ち「いい学校を出て、いい会社に就職しなさい」ということが前提でした。
なので台湾で生活をしていくには勉強ばかりしなければいけない環境でした。

李:そんな環境で成長していくうちに、自分が何をしたい人なのかが分からず窮屈で、今のような外向的な性格ではなく割と静かな性格だったと思います。
中三の時に、とある日本のドラマに出会いその主人公を演じていた俳優さんと結婚したいと思いました。
日本の俳優さんと結婚するのであれば日本語が話せなければいけないと考え、日本語を勉強し日本語学校進学を目指すことになります。

李:その決意は親の猛反対を受けました。
「そんなことでは一人ではやっていけないよ」とか「日本語学校よりちゃんとした高校に進学しなさい」だとか言われ、両親と喧嘩になりました。
やりたいんだったら家を出て行きなさいくらいまで言われました。

李:それでも、初めて自分がやりたいことに出会えたので反抗して今までやってきました。
これが私が一番大きく変わった出来事だと思います。
言われた通りにやってきた自分が、初めて自分のために何かしようと思った出来事です。

李:もしここで変わっていなかったら、親が敷いたレールの上を何も分からないまま歩んでいた可能性が高いと思います。

李:父親とは結構長い期間口もきかない状態が続きましたけれど、母親はやるなら仕方がないけれど中途半端じゃなくちゃんと出来るようにしなさいと言われていました。
私は日本語学校に入るときに「日本人と話をしても、外国人だと思わせないレベルになる」という決意をしました。
※李さんの日本語の発音はネイティブとしか思えないくらいのレベルでした。

帰国の時に「また帰ってきてね」と送り出してくれたことが嬉しかった

ー 自分のやりたい事をやる決意をした李さんはその後どのような歩みをしていくのでしょう

李:その後、正規の高校の中の日本語学科に入学することになります。
週2回日本語の塾に通いながら、すべて見るドラマやバラエティ番組を日本の番組を見て、学校の日本人の先生と会話することと、台湾に住む日本人の友達をたくさん作りました。
私は興味のあることは全力でできる性格で、日本語を勉強することが趣味のように楽しく感じられてずっと続けることができました。

李:その後、日本語学科のある大学に入学して引き続き学ぶことになります。
やりたいことを見つけた瞬間に、最後までやり続けることの大切さを学びました。

李:高校生の時、原宿ファッションが流行っていて留学に行ったら日本のお店で働きたいという夢を持っていました。
その後、交換留学に行った時に2.5SPINNSで叶えることができました。
アパレル初めてだったのですが、全ての経験が楽しかったです。
常に店長と店舗のメンバーと毎日試行錯誤する日々だったのですが、楽しかったです。
留学期間が終わり、台湾に帰国しなければならなくなった時に「また帰ってきてね」と言われて送り出してくれたことが嬉しかったです。
当時、何も分からなかった自分を助けてくれた店長に恩返しがしたいと思って大学卒業してからまた戻ってきました。

自分のためにも、上司のためにも変わりたい気持ちが芽生えた

ー 海外生活をしながらSPINNSで働き始めた李さんのその後はどんなことが起こるのでしょう

李:3年ほど店舗で働いて、海外開発事業部という新しい部署に移動になります。
そこからSPINNSで働いてから一番しんどい一年になりました。
部署自体が新しすぎて、コロナ禍の中で新しいことを見つけなければいけなかったのですが非常に難しかったです。
上司との人間関係も上手くいっていなかったのですが「自分ってこういう性格なんだ」ということに初めて気付かされた期間でした。
私はせっかちな部分があって、指示を待たなければいけない状況下で待つのがしんどかったり「こうしたらいい」と提案するのですが上司の見ている視野で考えられないことで意見がぶつかることが多かったです。
上司とは沢山それぞれの考えをぶつけ合って、ぶつけ合ってるのに事業は上手くいっていなくてお互いにしんどい状況でした。

李:そんな中で社内の研修に参加し、上司と対話を重ねていかなければいけない状況になりました。
本当に嫌だったのですが、上司も私に向き合おうとしてくださり「一旦今までのことは忘れて」お互いがどういう人間かを知ろうと五週間にかけてミーティングをしたり、食事に行く時間を持つことで「上司は本当は仲間思いなんだ」とか「上司のこういう良い面もあるんだ」ということに気づくと同時に私自身の思い込みもあったことに気づけました。

李:そのことに気づいた時に自分のためにも、上司のためにも変わりたいという気持ちが芽生えて、最終的には部署は終わってしまったのですが上司とは和解できました。
今振り返ると、このしんどい一年がなければ今の自分もいませんし、性格の面では一番大きく変わった良い一年だったと思います。

李:以前の私は、圧迫感の中で仕事をしていました。
実践しているのは自分なのにやりたいようにできない苦しさがあって。
以前は視野が狭くて、目の前のことしか見えていなかった自分がいました。
上司はそこを見抜いていたからこそ様々な指示を出さざるを得ず、自分が「やりたいようにできない状況」になっていたんだということに気がつきました。
上司とぶつかることで、その「上司の視野の広さ」に気づくことができました。
自分のやりたいことだけではなく、お客さんが求めていることも考えながらできる自分になれたからこそ「やりたい事」ができるようになり、結果もついてきて楽しさが芽生てきたのだと思います。

楽しんでいたら出来ないことはない

ー 李さんにとって「ムテキ」とはどんなイメージでしょう。

李:エンジョイです。楽しむこと。
楽しんでいたら出来ないことはないし、楽しんでいたら成果はついてくると思います。
何よりも、それ以上に幸せなことはないと思うからです。

プロフィール
李慈暉【りー】
台湾台中市出身
SPINNS商品部レディース部門 レディース雑貨バイヤー

20歳で株式会社ヒューマンフォーラム(SPINNS)に入社。
一度台湾に帰国後、23歳で再度入社。
店舗を3年ほど経験し、海外開発部に異動、その後インテリアブランド【LooMeeMooRooM】を担当しています。
お客様に今一番ホットで一番可愛いインテリアを提供しながら、実店舗がない中でインターネットを通して【変われるってムテキ】を発信し続けています。
LooMeeMooRooMを通して、もっと素晴らしいあなたに出会えますように♡

 

インタビュアー
大槻彦吾 (g5designs & Co.)
1973年千葉県生まれ。現在は横浜市在住。 転勤族の家庭に生まれ幼少期から27回の引っ越しを経験。
高校卒業後韓国に5年間留学。 アパレルメーカーにて11年間生産・営業部長を経験。退職後ヒューマンフォーラム入社。
5年を経て社内研修を体系化。「人間が人間らしく活きられる」をテーマにキャリア・評価制度・チームビルディングをメインに 現在はg5designs.co.を主宰して持続可能な組織開発にあたっている。