変われるってムテキインタビュー vol.1 宮崎洋輔

変われるってムテキインタビュー vol.1 宮崎洋輔

「変われるってムテキ」を世界中に。
それが、私たちスピンズのVISIONです。

世の中に服屋さんは星の数ほどあれど
私たちスピンズは「変われるってムテキ」を伝えたい服屋さん。
自らが変わっていくことで、自分の人生をクリエイトし
ワクワクを世界に伝えていく。

このインタビューは、そんな私たちの「変われるってムテキ」物語です。

 

今回のインタビューはローカルコミュニティ事業部を社内で立ち上げ、若者とまちを繋ぐアパレル体験ワークショップや地域活性化を目的とした古着屋づくりを九州エリアを中心に活動されている宮崎洋輔さん(ミヤポヨ)に「変われるってムテキ」のお話をお伺いしました。

いろんな人達から影響を受けた20代

ー まず宮崎さんがヒューマンフォーラム(スピンズ運営会社)に入社してからのお話をお聞かせください。

宮崎:今年36歳になるので生まれ育った18年と、大人になって(ヒューマンフォーラムに)入社しての18年が丁度同じ年になります。
振り返ると高校卒業までの18年間と、スピンズに入ってからの18年間では多分別人くらい変わったなと思います。18歳の頃には考えも思いもつかなかったことが考えられるようになったというのは知識や経験によるものだと思うんですが、社会に出るということは自分が変わっていく事とセットだと感じています。もちろん芯の部分は変わってないなとも思います。

宮崎:最初は店舗業務からのスタートだったのですが、20代は会社のいろんな人達や社風から影響も受けるし、吸収もめちゃくちゃしました。入社した時からずっと僕は仕事が楽しくて楽しくて仕方がないマインドセットだったんですね。
そうすると、だんだんと地元の友達と話が合わなくなってくる。友達は会社に入って数年経つと上司や仕事の愚痴が出てくる。その話を受け入れられない自分がいたり「あんまり聞きたく無いな」って感じる自分がいたり。かといって説教しても環境も違うから意味がないし。友達だからこそ聞いてあげることしかできないというのはしんどかったですね。

一緒に時間を過ごすことの大切さ

ー 20代に会社から大きな影響を受けたという宮崎さん。一番影響を受けたのはどんなことでしょう。

宮崎:圧倒的に上司から影響を受けました。かっこいい大人だなっていつも思っていました。でも僕と違う価値観の人たちばかりでしたから全否定されることもあり「なんでそんなこと言うんだよ〜」って思う事もありましたけど、それを超えるくらいみんな大好きでした。一番「変われ」ってメッセージを受けてきたのも上司でしたし、それを通じて新しい自分にアップデートしてきたんだと思います。

宮崎:具体的にいうと、昔お店をやっていた頃の上司はとても几帳面な方でした。お店の販促ポップが曲がっているのもすごく嫌がるタイプ。僕はあまり気にしないタイプ。そのことで散々几帳面にしろと言われ続けたんですね。僕は根本的に大雑把なので自宅がものすごく綺麗かというとそういうわけでは無いのですが、お客さんのことを考えると絶対に綺麗なお店の方がいいという几帳面であることの理由や意味を理解することで納得していきました。それと喋り方やミーティングの仕方は上司に似ますね。自分が受けてきたミーティングの仕方を今度は自分が上司になった時に部下に対して真似てやろうとします。そのやり方は最初は自分のものになっていなくて失敗しましたけど、今は自分らしく変化してしっくりきています。そんな風にたくさんの上司から影響を受けたことや仲間から影響をたくさん受けてきたので、僕は「一緒に時間を過ごす」ということの大切さをすごく感じています。ヒューマンフォーラムという会社の一番いいところはそこだと思っています。

価値観の違いを受け止められるきっかけ

宮崎:30歳前後はプレス(広報部)に入って社外の方々とお仕事をする機会が増えました。すると価値観の全然違う人達と仕事をするのが当然な環境になるんですね。僕は仕事をするのであれば価値観の合う人と仕事がしたいけど、世の中全然違う価値観を持っている人たちが山ほどいます。僕は、その人がどんな人でどんな良いところがあるんだろうか。というのをまずは知ろうとするところから始めて、全部は共感できないけど、この人面白い人だな!と思うスタンスに自分が変化していったことで、許容範囲が広くなりました。それによって価値観が違うから自分とは合わないというのではなく、色々な人と仕事や時間を一緒に過ごすことができるようになりました。仕事を通して人に興味をもつことでその人を好きになることが楽しいと思えたり、元々そういうことが好きだった自分を再発見したりしました。
今は仕事で高校生や大学生とコミュニケーションを取ることが多いんですが、20歳ほど年の離れた若い世代と素直に接したり、価値観を受け入れて新しい学びにできたりするのもそのときの経験のおかげだと思います。

こんなカッコいい大人になりたい

ー 会社に入ることで上司から大きな影響を受けて変化していった宮崎さん。そもそもアパレルで仕事がしたいという原点はどんなことだったのでしょう。

宮崎:アパレルに入りたいと思った理由が、高校生の時に出会った地元の古着屋の店員さんがすごく優しくて、こんなカッコいい大人になりたいと思ったことがきっかけでした。
音楽が好きだったので、イケてる曲や音楽の機材のことを教えてくれたり、高校生の僕なんかにいろんな大人を紹介してくれたりして、なんてカッコいい大人なんだって思いましたね。
入社してどんなに仕事量が多くてしんどくてもお客さんと話すことが楽しくて、直接喜んでもらえることが嬉しかったからできたんだと思います。高校時代の古着屋の店員さんのように、お客さんや10代の若者にカッコいいなって思ってもらえるような大人になりたいと思ってアパレル店員になったということがつながっていますね。

自分にとって一番変われたことは「自分のやりたい」を会社に伝えたこと

ー 高校時代に受けた古着屋での接客体験が原動力だった宮崎さん。しかし長く働いていくと役割が変化していきます。

宮崎:もちろん成長するにつれて会社から求められることも大きくなってきますし、応えたい自分もいます。24歳まで店舗部だったんですがその後、本社に異動になり10年近く現場から離れることになりました。逆にそれで原体験を思い出すことになったんです。「なんでアパレルに入ったのか?」っていう。ちょうど33歳の時です。
今までは現場で直接お客さんとお話をして直接価値を伝えられるということが嬉しいし楽しいしやりたいことだったんですが、そこからどんどん離れていく。特にコロナ禍に入ってからは全く何もできないという状況になりました。

宮崎:それまでは僕は会社の辞令に対して全て即答でイエスでした。会社の期待に応えるというのを全てのファーストに置いてやってきたんですが、2年前に初めて「自分のやりたいコト」を決めて経営メンバーに伝えたんですね。それもコロナ禍で一番大変な時期に。今となってはきっかけとして良かったと思います。自宅待機の状況でずっと家にいて「なんじゃこりゃ」って思って「このまま東京にいるのか」とかすごく考えました。立場的には僕はプレス部署でも役割がたくさんあったので、その状況下を考えると僕がいなくなると残されたチームが大変になるのも重々承知の上でした。
心の中では「ダメかもな」「ダメだったら辞めるという選択肢もあるのかな」というのも考えながら会社に伝えました。結果やっていいよという結果になり東京から福岡に異動して事業部を作ることになりました。この事業部は自分のやりたいことでもあるんですが、スピンズの未来とってもいい事だという確信もありましたので、ローカルコミュニティ事業部を作ったことが一番自分が変われた出来事だと思います。自分のやりたい事を決めて会社の中でやりたいと言えた事ですね。

「自分で決める」ことのたいせつさ

ー 価値観の違いを活かす方法を知り、社内でローカルコミュニケーション事業部を立ち上げた宮崎さん。そんな宮崎さんのこれだけは譲れないものというのはあるのでしょうか。

宮崎:もったいないな~と思うのは「何かのせい」にしてしまう人ですね。もちろん僕もたくさん何かのせいにしてきたりしましたけど、若い頃はそういうこともあると思うんですね。でもそれがクセになってしまい、いつも人のせいにしているというのは「いつまでそれやってんのかなぁ」と思います。もったいないですよね。
今の僕が一番大切にしていることは「自分で決める」ということです。高校生にも「自分で決めることの大切さ」を伝えています。僕自身、自分で決めてこの事業部を作って本当に良かったと感じています。これには批判もされるかもしれないし勇気もすごく必要ですが、自分で決めていないことって誰かのせいにしちゃうんですよね。自分で決めると言い逃れできないから怖いというのはあるんですけど、それは年齢や経験は関係なくて、永い間会社の辞令に沿って生きてきた僕も事業部を作るという自分の人事を自分で決めるというのは、学生にとっては進路を決めるとか就職先を決めることに似ています。自分でそこに行く理由を決めるというのは大切なことだと思います。会社の辞令に沿ってきた僕はそれによって大きな経験と自信を得れました。めちゃくちゃ感謝しています。でも自分の事を自分で決めないと最終的に幸せにはなれないなと思いました。
結構大きな「決める」(ローカルコミュニティー事業部を立ち上げること)をしたので今は躊躇がなくなりました。仕事の決断も速いし些細なこと、例えば日常で食事や遊びに誘われた際も行く理由を曖昧にしないで決めるようになりました。

ムテキとは自分の中の自信

ー そんな宮崎さんにとっての「ムテキ」ってどんなイメージでしょう。

宮崎:無敵っていう言葉は実はあまり好きじゃなくて(笑)敵がいるとか誰かに勝つとかは違うなという感じです。誰に対してムテキなのかというと自分に対して「ムテキ」ということだと思います。自分の中の敵っていろいろいると思うんです。「自信がない自分」とか「言い訳する自分」とか。そこに対して変われるということ。
自分の中の敵は決していなくなることはないと思うんですが、その自分を覆すことでムテキになれる。自分の中の自信だなって思います。ファッションも働き方も、事業で地域の人と何かをやることも全てそんなことにつながるのだと思います。

プロフィール
宮崎洋輔(ミヤポヨ)
SPINNSローカルコミュニティ事業部

大分県大分市出身
18歳で株式会社ヒューマンフォーラムに入社。
20代で店長、バイヤー、プレスマーケティング部などの経験を経て
2020年より東京から九州福岡に移住。
現在はローカルコミュニティ事業部を立ち上げ、若者とまちを繋ぐアパレル体験ワークショップや、
地域活性化を目的とした古着屋づくりを九州エリアを中心に活動中。

インタビュアー
大槻彦吾(g5designs & Co.)