変われるってムテキインタビュー vol.36 SPINNS アミュプラザくまもと店 店長 宮下 寿々菜

変われるってムテキインタビュー vol.36 SPINNS アミュプラザくまもと店 店長 宮下 寿々菜

「変われるってムテキ」を世界中に。
それが、私たちスピンズのVISIONです。

世の中に服屋さんは星の数ほどあれど
私たちスピンズは「変われるってムテキ」を伝えたい服屋さん。
自らが変わっていくことで、自分の人生をクリエイトし
ワクワクを世界に伝えていく。

このインタビューは、そんな私たちの「変われるってムテキ」物語です。

今回のインタビューはSPINNS アミュプラザくまもと店 店長 宮下 寿々菜さんにお話をお伺いしました。

 

「やっぱり私は無理なんだ」という悔しい思い

ー 宮下さんの幼少期からのお話をお聞かせください。

宮下:小学生の卒業アルバムにもデザイナーになると書くくらいお洋服が好きでした。
きっかけは姉が買っていたファッション雑誌をたまたま見た時に「服で人はこんなに輝けるんだ」という印象を受けたことでした。
実際、中学生の頃好きなお洋服を着てる時「自分輝いている」と感じていたことで人と違う自分であることが好きでした。
学校でも元気なキャラでしたけど、中学の頃に反抗期が始まって母親にとても迷惑をかけてしまっていた自分もいました。
でも、服のことでは母親とお話ができたりお買い物に行けたりとかしていました。

宮下:高校に入ると色々な場所から来た人たちが多く新しい友達が増えました。
派手な原宿系ファッションが好きだった私は好きな服を通じて仲良くなった友達とSPINNSに買い物に行ったりとか服のためにアルバイトして、服と関わっている自分が好きだったので楽しい日々を過ごしている間に服を職業にしたいと思うようになりました。
高校卒業の時に熊本を出たかったのですが、お金もないし就きたい職業もなかったのでとりあえず働いて服が買えたらいいやと割り切ってひたすらコンビニや短期のアルバイトをして服を買っていた日々を過ごします。
そんな中、やっぱり服屋さんで働きたいなと思うようになったタイミングでSPINNSの募集を見て「昔から通ってたお店だし、派手なお洋服もあるし」と応募することにしました。
でも私だったら受かるだろうと思って受けたら、落ちてしまいました。
「やっぱり私は無理なんだ」と悔しい思いをしたことを覚えています。

不安が凄くて自己否定してしまう自分になっていた

ー SPINNSに入社できなかった宮下さんはどのような行動を起こしたのでしょう。

宮下:その後、別のアパレルのお店がオープンするというので応募したら合格できて、2年間ぐらい働くことになります。
そのお店はスタッフが少なく、実質3人だけで営業していくような体制でした。
そこでは半強制的に社員になってしまったのですが、人が足りていない状況だったので仕事量がとても多く責任感が強い私は「私が何とかしないといけない」と思い仕事をしていました。
しかし責任の重圧と仕事量の多さから一杯一杯になってしまい社員を辞めることになります。
結果的にそのお店は熊本から撤退することになり、閉店まで働いて退社しました。

宮下:退社するタイミングでSPINNSの当時の店長さんと仲良くさせていただいていたので、話をしたら声を掛けていただいてSPINNSに入社することになりました。

宮下:やっとSPINNSで働けるようになったタイミングで世界はコロナ禍に入ってしまい出社も出来ず、ひとり暮らしの部屋から外出もできない状況で段々と自分の殻に閉じこもってしまうようになってしまいました。
自宅待機の期間が終わって出社が出来るようになったのですが、入社したばかりで右も左も分からない状況だったこともあり、どんな感じで働いたらいいのかうまく掴めずモヤモヤしていた状態だったのですが、すでに働いていた周りの人たちが色んなことができたり、目標を持っていることや今までの日常を過ごしている姿に対して、自分は何もできないと悲観し自己否定をするようになってしまいました。
今まで悩んだら落ち込むタイプだったのですが、ここまで落ち込むことはなくて、どちらかと言えば元気で明るくてお洋服が大好きで、人と会うのが好きな自分が自分でもびっくりするくらい変わってしまっていました。
なぜそうなったのかは私自身もまだうまく理解できていません。
ただ、「自分なんていいや」「自分にはできない」とコロナ禍を1人で過ごしたあとの自分は不安が凄くて自己否定するようになってしまっていました。
たった1ヶ月間でこんなにも変わるんだと思うと凄く怖かったです。

「何とかなるよ、大丈夫大丈夫」

ー コロナ禍のタイミングで新しい職場という非常に孤独な状態がどうなっていったのでしょう。

宮下:そんな中、日常が少しずつ戻っていきながら働いていたらスタッフに会うのは楽しいと思っている自分がいました。
でも自分が「このままSPINNSに居てもいいのかな」とずっと感じていました。
そうこうしている内にお店が別のテナントさんに移転することになり「環境が変わると良くなるかな」と移転作業は不安はありながらも期待しながら楽しく進めていました。
ただ「これがしたい」とか具体的なイメージは掴めてませんでした。

宮下:それから1年後、別のスタッフと2人で店長業務をすることになります。
そのもうひとりのスタッフは「いずれプレス部に異動したい」という夢とやる気を持って働いていたのですが、私は特に目的もなく店長業務をやっていく中で温度差を感じていました。
その温度差から不安になってしまって、何をする時も「これで合っているのかな」という不安を感じながら業務を進めていて、私が部下だったら凄くやりにくかっただろうなと思いますし、振り返ればよくついて来てくれたなと感謝でいっぱいです。
その頃はSV(スーパーバイザー)の方に「私、不安です」とか「大丈夫ですかね」と毎回言っていたにも関わらず「何とかなるよ、大丈夫大丈夫」とずっと気にかけてくださったり、背中を押し続けてくださって本当に感謝でしかありません。

「私はスタッフと一緒に頑張るひとり。役割は店長」

ー 少しずつ不安が薄れていく宮下さん。さらに次のステージへ進みます。

宮下:そんな不安な日々を送る中、社員募集が始まりました。
私も凄く迷ってギリギリまでSVの方に「私できますかね」と相談していました。
やりたい自分もいたのですが、同時に不安な自分もやっぱりいて自分の中で戦っていました。
私はどうなるかわからない未来のことについて不安になってしまうようになっていて、前職で結構大変な作業量をこなしたことで一杯一杯になってしまった経験を思い出しながら「途中で投げ出してしまったらどうしよう」という不安を感じていました。

宮下:社内研修を受けるとSPINNSでは「やりたいことをやろう」とか「何にでもチャレンジしよう」と教えていただきました。
振り返るとSVの方は不安で自己否定ばかりしていたり、不安ばかり口にしていた私を否定することなく、むしろ私をずっと肯定してくれて側で応援してくださっていました。
そんな社員になりたい、なれるために今回チャレンジしてみようと思い社員になる決意をします。
勿論そんな中でも「大丈夫かな」と不安はずっとあったのですが、社員になる過程の中で出会ったお仕事を一緒にしたことのない社員の方達も皆んな、私のことを否定せず一緒になって悩んでくださる姿が私にとって凄く嬉しくて、だんだんと不安が無くなるというより、少しずつ解決されていってる感覚がとても楽しかったです。
全社的な集まりにも参加させてもらいながら、人とのつながりが強い会社だなと感じたり、色んな人達がいるんだなと発見もありながら社員にさせてもらいました。

宮下:社員になってから店長業務も1人でやるようになったのですが、やはり不安でした。
私にとっての店長はみんなを引っ張っていって、皆んなもついていくようなザ・店長というのが理想像だったので、そんな店長になれていない自分につまずいたり、不安になったりしていたのが私でした。
そんな私に気がついた上司の方が「店長にも色んな人間がいるから、すーちゃんはすーちゃんらしい店長でいたらいいよ」と言ってくださったことで「私は私のままでいいんだ」と気持ちが凄く楽になりました。
私はスタッフの皆んなを頼ってしまいます、自分が不安でどうしようか決めきれないので相談をよくしてしまうのですが、それはよくないと思っていました。
でも、私は私らしい店長であっていいんだと言われて「私はスタッフと一緒に頑張るひとりで、その役割の一つとして店長を任されている」と、このままでいいんだと気付かせて頂いてから今は店長がとても楽しいですし、昔の自分が戻って来たように楽しくお仕事させてもらっています。

チャレンジしなければ何も変わらない。恐れていてはそこでストップする。

ー 宮下さんにとって「ムテキ」とはどんなイメージでしょう。

宮下:「恐れないこと」だと思います。
社内研修で「成功の反対は失敗ではなく、チャレンジしなかったこと」と教えて頂いたのですが、本当にその通りだと思いました。
チャレンジしなければ何も変わらないし、恐れていてはそこでストップしてしまいます。
コロナ禍で不安になってしまった私は全てに恐れていました。恐れていなければ変わったのかなと思ったりもしますけど、少しずつ色々な人に支えてもらうことで恐れることが薄れていって、今なら何でもできるなと思えるからです。

宮下 寿々菜
熊本県出身
SPINNS アミュプラザくまもと店 店長

23歳で株式会社ヒューマンフォーラム(SPINNS)に入社。
レディース担当長や店長サブを経験し、今年の3月に店長になりました。

インタビュアー
大槻彦吾 (g5designs & Co.)
1973年千葉県生まれ。現在は横浜市在住。 転勤族の家庭に生まれ幼少期から27回の引っ越しを経験。
高校卒業後韓国に5年間留学。 アパレルメーカーにて11年間生産・営業部長を経験。退職後ヒューマンフォーラム入社。
5年を経て社内研修を体系化。「人間が人間らしく活きられる」をテーマにキャリア・評価制度・チームビルディングをメインに 現在はg5designs.co.を主宰して持続可能な組織開発にあたっている。