変われるってムテキインタビュー vol.13 SPINNSプレス部 浦田楓香

変われるってムテキインタビュー vol.13 SPINNSプレス部 浦田楓香

「変われるってムテキ」を世界中に。
それが、私たちスピンズのVISIONです。

世の中に服屋さんは星の数ほどあれど
私たちスピンズは「変われるってムテキ」を伝えたい服屋さん。
自らが変わっていくことで、自分の人生をクリエイトし
ワクワクを世界に伝えていく。

このインタビューは、そんな私たちの「変われるってムテキ」物語です。

今回のインタビューはSPINNSプレス部浦田楓香さんにお話をお聞き致しました。

居るだけで意味がある

ー 浦田さんのことを教えてください。

浦田 :私は大人数の場で話すことが苦手という自覚もあり、それを公言してきたのですけど
最近になって気がついたのは「結構話せてるな」ということに気がつきました。
チームになった時も率先して自分から発言できていて、プレスという職場に異動してきたのもあって成長してきたのかなというのを最近感じています。

浦田 :元々、内気な性格なので自分のことを公の場で話すことが苦手でした。
私は阪神淡路大震災の震災遺児で母親を私が産まれて4ヶ月の頃に亡くしています。
大学生の頃、東日本大震災があって「あしなが育英会」という震災遺児を支援してくださる団体さんから自分の震災を受けてからの経験を話すという場をいただくことがありました。
現地の方々とお話をする機会をいただいたのですが、そもそも私は震災時4ヶ月だったこともあり覚えていない出来事なので何が伝わるのかなと思いつつお話しさせていただきました。
喋りも上手ではないですし、聞いた出来事をお話しするような感じで伝えていたのですが話の内容というよりも震災と共に育ってきた私の成長自体を感じられたのが嬉しいと言っていただけました。


浦田 :まだ東日本大震災から6年くらいの時だったので、20年後にはこんな姿になっている子たちがいるという未来が感じられたとおっしゃってくださって上手に喋れなくても私自身の存在が「居るだけで意味がある」と痛感しました。
私の中で「話す」ということが苦手意識がありましたが、上手く話せなくても意味があるんだということを学びました。

アイドル好きだったからSPINNSと出会った

ー 浦田さんがSPINNSへどのような経緯で入社されたのでしょう。

浦田 :SPINNSには高校生の頃に出会いました。
当時、邦楽のロックをよく聞いていて、曲がいいなという流れでとあるアイドルが好きになりました。
そのアイドルグループとSPINNSがコラボ商品を出していることを知って、心斎橋店に行ったのが初めてのSPINNSです。コラボ商品は完売しいていて買えませんでしたけど。
その後、大学を卒業ししばらく東北で働いていました。
その会社を辞めて関西に戻ってきたタイミングで友達と遊びまくっていました。
そろそろお金無くなるなというタイミングで、どうせ働くなら年頃的にもファッションに興味が出はじめた頃だったのでアパレルがいいなと思い某アパレル会社に応募しましたが落ちてしまいました。
でも諦めずそのアパレル会社のお店と似たようなお店ということでSPINNSに応募し無事SUPERSPINNS三宮店に入社することになりました。

ー 紆余曲折あってSPINNSへ入社されてからどうなったのでしょう。

無条件に人を笑顔にできるという凄さ

浦田 :最初入社した時は人間関係で辞めそうな時期もありましたけど今に8年目になります。
レディース担当から始まってレジ・マーケティングを3年くらい担当しお店での最後の部署はUSEDでした。
レジ・マーケティングの部署はプレス部のイベントをお店で開催するときにサポートをするような仕事もあるのですが、その時に私が好きだったアイドルが作ったアパレルブランドのサイン会イベントをお店でやることになりました。
当時のプレスの方が私がそのアイドルのことを好きだということを覚えてくださっていたというのも三宮店で開催する理由の一つでした。

浦田 :でも折角の機会だったのに、そのタイミングで私が手術を受けないといけなくなってしまいました。大変だったこともあったのですがイベントにギリギリで間に合って無事スタッフとして参加することができました。

浦田 :その出来事で特に感じたことはアイドルの方もそうですがそれを支える裏方のプレスやスタッフを見ていて、無条件に人を笑顔にできるということの凄さを感じました。
その出来事がきっかけでプレス・制作部に行きたいと思うようになり当時のスーパーバイザーの方に制作部に行きたいという意思を伝えて一緒に頑張ってくださりプレスに異動になることになります。

お店とは全く違うプレス部という業務

ー プレスへ異動されてからはどのような変化があったのでしょう。

浦田 :現在はプレスの業務と原宿にある協業のコラボカフェの企画・生産の担当をさせていただいています。
プレスに異動して3年が経ちますが元々好きだったアイドルさんとコラボを担当させてもらい三宮のイベントの時に来店してくださったアイドルのメンバーの方が私を覚えてくださったのがとても嬉しかったです。
お店で業務をしている時とはお仕事のやり方が全く違い最初は戸惑いました。
プレスでのお仕事は結構自由というか仕事を自分で作って計画立てて進行し確認までしていかなければいけないというお仕事です。
関西から関東に異動したというのもあり周囲の人も同じ会社とはいえ、知らない人たちばかりという環境の違いもあります。
最初は悩みまではしませんでしたが「どうやっていったらいいかな」と難しさを感じました。
でも、カフェの協業担当を一人でやらせていただいたことで鍛えられました。
社外の打ち合わせにも一人で出て、企画であがった商品のサンプル確認や生産管理をするのですが次から次から仕事のお話をいただいて直近のお仕事から1年後の仕事まで前任の方のお仕事のやり方を見て覚えました。

浦田 :今のお仕事がスムーズにできるようになったのは社外の方との一緒にご飯に行ったり屋台に行ったりできるくらいまでの関係性を築けたことが大きいと思います。

わたしの4つのターニングポイント

ー 浦田さんの思い描く夢ってどんなことでしょう。

浦田 :私は夢は何?と聞かれたら「無い」と答えるようにしています。
一つ言えるのはイベントの時のお客さんの笑顔を見るのがとても嬉しいというのがあります。
練りに練ったイベント情報が解禁になった時のSNSでの反応が良かったりすると嬉しいですし、会場で主役の方とお客さんの笑顔を見ることが私の原動力になっています。

浦田 :夢と聞かれると答えにくいですが振り返ると私の人生のターニングポイントは4つあったなと思います。
まずそもそも産まれた時がターニングポイントでした。
次が被災者の方にお話しする機会に巡り会えたこと。
そしてSPINNSに入ったことと、店舗からプレスに移動した4つです。

関わることで誰かが喜んでくれる時、わたしはムテキになる

ー 浦田さんにとってのムテキとはどんなイメージでしょう。

浦田 :難しいですね。無敵という言葉は強そうな感じですね。
ムテキというキーワードは恐れ多いイメージがあります。
「最強」というのも違うし。
全然違う言葉ですが私にとってのムテキとは「幸せ」なのかもしれません。
寝てる時、横になってる時も「幸せ」を感じます。
でも起きている時はお客さんが喜んでくれる表情を見た時、コラボしたご本人が喜んでる姿に触れた時に「やって良かった」と幸せを感じます。
「関わることで誰かが喜んでくれる」その時に私は幸せ(ムテキ)になれます。

プロフィール 
浦田 楓香
SPINNSプレス部
兵庫県神戸市出身
大阪芸術大学短期大学部卒業後
宮城県の南三陸町で復興支援活動を行う。
その後2015年に株式会社ヒューマンフォーラムへ入社。
SUPER SPINNS神戸三宮OPA店で店舗スタッフを約4年半勤務後
2020年から東京のプレス部へ異動し、現在はコラボレーション企画・生産等を中心に
SPINNSを認知してもらうため・ファンの方のまた来たいをつくるため日々奮闘中!
インタビュアー 大槻彦吾 (g5designs & Co.)